写真はクリックすると大きくなります。
1.ジョナサン・エドワーズの肖像画 Jonathan Edwards
エドワーズの生前に描かれた肖像は一つだけしか現存していない。ボストン在住のバッジャー (Joseph Badger, 1708-1765) がストックブリッジ時代に描いたとされるもので、現在イェール大学に所蔵されている。バッジャーはホイットフィールド (George Whitefield, 1714-1770) を含む同時代人の肖像を百人以上描いているが、私の見たものはどれも似通った絵に仕上がっている。目を見開いて唇を引き締めた像で、いかにも冷厳なイメージである。そのため、後のエドワーズ愛好家たちには好まれなかったようで、この絵に基づいて何枚かの修正像が描かれた。これはその複製の一つで、現在プリンストン大学のマクリーン・ハウス (Maclean House) 内に掛けられている。2003年4月撮影。
2. セアラ・ピアポント・エドワーズ Sarah Pierpont Edwards
同じくバッジャーによるものと思われるエドワーズの妻セアラ (1710-1758) の肖像。これも現在プリンストン大学のマクリーン・ハウス内に、夫の肖像と並んで飾られている。2003年4月撮影。エドワーズとセアラとの関係については、「見聞録 11」を参照。
3.エドワーズ・スクウェア Edwards Square
マサチューセッツ州ノーサンプトンにあるエドワーズ牧師館跡。「エドワーズ・スクウェア」という道標がある。現在は「ポーランド国民教会」という独立カトリック教会となっている。拙稿「ジョナサン・エドワーズとプロテスタント・アメリカの理念」、『アメリカ研究』38(2004年)、55頁を参照。
4.「エドワーズ楡」 EdwardsElm
エドワーズ牧師館敷地内に立っていた楡の木の断片。1913年に倒れた。 ノーサンプトン公立フォーブス図書館 所蔵。ただし、展示していたのは遠い昔で、今は裏の倉庫に雑然と放置されている。図書館員の好意により、埃をかぶったそれらの「エドワーズ関連品」をいろいろと見せてもらった。
5.エンフィールドの会衆派教会 Congregational Church in Enfield, CT
「大覚醒」のさなか1741年7月8日、エドワーズはコネチカット州エンフィールドのこの教会で、「怒れる神の手の内にある罪人」という説教を語った。ただし、現在の同教会はあまりエドワーズのこの説教で知られたいとは思っていないようである。「 見聞録 13 」を参照。
6. 「大覚醒」記念碑 The Great Awakening Boulder
これは、大覚醒とエドワーズの説教を記念して、エンフィールド教会敷地内に置かれていた碑石である。この写真は1991年に撮ったもので、現在は置かれていない。なお、刻まれているのは、以下のような文章である。 “This boulder marks the place where stood the second meetinghouse of the First Church of Christ in Enfield built A.D. 1704 and used for worship until 1775. In this meetinghouse on July 8 1741 during the Revival known as the Great Awakening Jonathan Edwards preached his celebrated sermon “Sinners in the Hands of an Angry God.”
7.エドワーズの自筆説教原稿 Edwards’ Sermon Manuscript
これは1737年4月13日という日付が入っている。文字の小さいことに驚くが、エドワーズは細心の注意を払って説教原稿を用意した。メモ書き程度の草稿で説教するようになったのは晩年である。おかげで後世には膨大な草稿が遺された。ニューイングランドでは説教は2時間の長さであることを記憶されたい。ちなみに、彼の前任者ストダートの字はさらにいま一段小さく、書くのも読むのもほとんど職人芸である。「 見聞録 9 」を参照。
8.ブレイナードの墓 David Brainard’s Tombstone
先住民への宣教に従事し、結核で短い生涯を終えた ブレイナード (David Brainard, 1718-1747) の墓碑。ノーサンプトン墓地にある。その短い生涯の最後を共にしたエドワーズの娘ジェルシャについては、「 見聞録 15 」を参照。婚約者ジェルシャの墓碑も隣にあるが、二人は今「幸いな永遠」を共に過ごしている。
9.「ミッション・ハウス」 Stockbridge, MA
マサチューセッツ州ストックブリッジの「ミッション・ハウス」と呼ばれる先住民寄宿学校跡。「 見聞録 18 」を参照。これはエドワーズの前任者 サージェント (John Sergeant, -1749) の建てた家を移築したもの。ストックブリッジという町も、20世紀アメリカの大衆画家 ノーマン・ロックウェル (Norman Rockwell, 1894-1978) の美術館 の方が有名である。
10.エドワーズ通り Edwards Place, Princeton, NJ
ニュージャージー州プリンストンにある「エドワーズ通り」。ただし、エドワーズを彷彿とさせるものは何もない。彼の住んだ家は道を隔てたプリンストン大学構内にあり、そこに上の 1. と 2. の肖像画が飾られている。向こうに見えるのは大学の売店(通称 “U Store”)が入った建物。(2008年3月追記: 昨秋見たときには、”U Store” がメインストリートへと移転するという広告が出ていました。かつての学生向けショップがますます観光みやげ店化してゆきそうです。)
11.エドワーズの墓 Edwards’ Tombstone in Princeton, NJ
プリンストン大学「学長墓地区画」(Presidents’ Plot) に第三代学長として葬られたエドワーズの墓石。「 見聞録 19 」を参照。この写真は、2004年3月の「エドワーズ生誕三百年記念学会」の折に撮影したため、花束が載せられている。
12. ストダードの墓 Solomon Stoddard’s Tombstone
こちらは、ノーサンプトンの町の墓地に葬られたエドワーズの前任者ストダードの墓。彼に愛されて長生きしたエスター夫人も、仲良く隣に葬られている。この二人については、「 見聞録 9 」を参照。