さてこの「見聞録」、連載を始めるときは10話も続けばよい方だという気持ちであったが、10回を終わってみると、まだ25才のエドワーズがようやくノーサンプトン教会で主任牧師としての牧会を始めたところである。ここはひとつ、読者にもう少しおつき合いを頂いて、本筋に進み、もう数話で完結させることができればと考えている。読者の皆様のご寛恕を願う次第である。これから先は周辺の説明が必要でなくなると思うので、もう少し速やかに進むことができるだろう。

ところで、このところわが国でもいくつかのカップルの結婚話が話題になっているので、今回はエドワーズの結婚を取り上げておきたい。エドワーズは1726年の11月にノーサンプトン教会で最初の説教をなし、翌年2月に赴任し、その5ヶ月後にニューヘイヴンで結婚した。新婦は17才のセアラ・ピアポイントである。新婦の父はその町に定住した最初の牧師であり、イェール大学創立の発案者のひとりでもあった。またその母は、コネチカット定植を導いた、かのトマス・フーカーの孫娘である。二人の結婚に際しては、あるいはエドワーズ家よりもセアラ側のプレスティージの方が高かったかもしれない。

エドワーズはこれに先立つこと4年、まだセアラがほんの13才の時に彼女と知り合い、次のような一文を日記にしたためている。

「人いわく、ニューヘイヴンに若き乙女あり。この乙女はかの偉大な存在者、世界の創造者にして支配者なる方のみ心にかない、その方しばしば目に見えぬ姿でその許を訪い、その心を非常に甘美な悦びで満たし給うと。かの女はこの方のことを瞑想するの他ほとんど何事をも心にかけず、やがてこの方のみ許に取り上げられて、あまりに深きその愛のゆえにみずからを地上に残しおくをよしとし給わぬことが明らかにされんと望む。そのゆえに、人もし全世界とそのあらゆる富とをかの女に差し出すとも、その心は動かされず、かえって如何なる艱難辛苦をも厭わず。かの女は素晴らしく甘美で穏やかで誰をも愛する心のもち主にして、孤独を好み、野原や林を歩き、そのさまはあたかも目に見えぬ方が常にかの女と共なりて言葉を交わすかのごとし……」

 

すでにこの少女に恋心を抱いているのは明らかであるが、それにしてもまことにエドワーズらしい敬虔な恋心(?)である。ある人はこれを「超越論的ロマンス」(transcendental romance) と呼んだが、さて現代日本のカップルにこのような類の恋愛感情は理解可能だろうか。

セアラの生き生きとした神秘的な敬虔は、エドワーズがその後信仰復興運動の中心的指導者となってからも、彼にとってひそかに人々の回心や信仰のあり方を測るときの規準となり標準となった。そればかりではない。エドワーズにとりセアラは、おそらくこの世で唯ひとり、彼が劣等感を抱く人間であった。かの女の純粋で喜悦に満ちた信仰の前で、エドワーズは果たして自分が本当に神を信じていると言えるのか、本当に回心の恵みを受けていると言えるのかどうか、と深く自問せざるを得なかった。それほどにセアラは豊かな聖性と信仰に溢れた人であった。

とはいえ、エドワーズとセアラが信仰だけで結ばれていたかのように考えられては困る。二人の間には、やはり紛れもない男女の愛情が存在したであろう。ピューリタンの結婚観は、われわれが「ピューリタン」という呼び名から連想するような冷たくよそよそしいものではけっしてない。そのことは、彼女が結婚式に着た鮮やかな緑のサテンの紐飾りのついたドレスにも表われているだろう。「ウェディングドレスは貞潔の象徴で純白でなければならない」などとする卑俗なしきたりは、ピューリタニズムとは全く無関係である。

二人の求愛期間の記録は残されていない。ただ、おそらく家庭内で語られた伝承であろう、はじめセアラは、エドワーズの求愛に喜ぶどころか、困惑し、この無口な学者牧師につきまとわれるのを恐れて彼を避けたという。女性が求婚されて困惑するというのは、最近の皇室の話ばかりではない。しかし、ひとたびその真摯な人柄が知られると、エドワーズの人間的な魅力は十二分に伝わったようである。彼の方では結婚を待ちかねて、「通常忍耐は徳であるとされているが、この結婚に限って言えば、忍耐は悪である」とまで言っている。エドワーズがプロポーズに際して「雅子さんを一生涯お守りします」風のことを言ったかどうかは判らない。が、彼はその後「妻を僕のように扱う夫」や「妻の心に沿うように努めない夫」を諭し正す説教をすることもあったし、牧師館内に同居していたホプキンズの伝記によれば、そのような互いへのいたわりと敬愛とは、彼らと言葉を交わす者すべてに明らかであったという。エドワーズに限らず、ピューリタンは結婚と家庭生活を非常に重んじた。妻の地位は法的にも庇護されており、夫は妻に「乱暴な言葉」(harsh words) を使っただけで罰金を科されたという。大西洋を渡り、荒野の冒険に生命を賭した建設途上の共同体が、夫婦を単位とした家族を堅固な社会構成の基盤に据えたのは、きわめて当然のことでもあった。

幸い、セアラが四〇才位の頃のものとされる肖像画が残されている。ブリュネットの髪を後ろにゆるく束ねて、灰色の無地のドレスを着ている。わずかに胸あきを縁取るうすものが飾りであるが、赤みがかった頬と微笑んだようなえくぼが印象的である。聡明な明るさをたたえたその目は黒くくっきりと見開いている。輪郭の太い眉、長く通った鼻筋、ひきしめた唇など、同じ頃に同じ画家によって描かれた夫ジョナサンのそれと似通ったところもあるが、写実的で、ことさらに美化したところもなく、実物とそう違ってはいなかったと信じられる。落ち着いた美しさのある婦人像である。

二人の強い愛の絆は、エドワーズが死の床で枕辺にいる二人の娘に遺した妻への「ことづて」にもよく表われている。時にセアラは、まだ夫のいるプリンストンへ向かう途中であった。

「私の妻にこう言って心からの愛を伝えてくれ。私たちの間にかくも長く存在してきた尋常ならぬ結びつきは、私の信ずるところまことに霊的な性質のものであるので、この後も永遠に続くであろうと。」

 

ピューリタンの夫婦愛を戯画化して侮蔑的に扱う手合いがいるならば、この二人を見てからにしてほしい。果たしてセアラは、愛する夫なくして余生を送る力をもたないというかのごとくに、それからわずか半年のうちにこの世を去っている。