さて、前回は「エドワーズといえば大覚醒」と書き始めたが、さらに「大覚醒」といえば何と言ってもエドワーズの説教「怒りの神のみ手のうちにある罪人」である。アメリカの教界では、エドワーズの名前を知らない人でも、その説教のさわりを言うと、「あれか」と思い当たる人が多い。それほどによく知られた説教であるが、さて実際にそれを読んだことのある人となると、あまり多くはないであろう。この説教に限らず、エドワーズの書いたものはとかく読むのに骨の折れる文章である。

ところが、この説教は何と戦後すぐに日本で出版されている。関西学院出身の伊賀衛氏が『怒りの神―エドワーズ説教集』という題で他の数編と共に訳出したのがそれである。今ではなかなかお目にかかることのできない本で、私の手元にあるのは、ある日系移民のお宅の古い書棚に眠っていたのをおし頂いてきたものである。いかにも紙質の悪い、時代を思わせる黄ばんだ本であるが、訳者の志は高く、序文によれば「精神的な根拠を持たず、どちらに向いてもセンティメンタリズムのヴェイルを被らさねばすまない吾々現代の日本人」に「まず真実を考え、真実に生きる」道を示すことを願って訳した、とある。さらに近年、日本同盟基督教団の飯島徹氏がこの説教だけを小冊子として訳出されている(CLC出版)。こちらは容易に手に入るので、エドワーズの文章に日本語で触れるために、ぜひお奬めしたい。今のところエドワーズの邦語訳はこの二編しか存在しないが、ともにこの説教を訳出しているということに、やはり因縁深いものを感じざるを得ない。良くも悪しくも、エドワーズの名はこの説教と分かち難く結びついているようである。以下に飯島先生の訳でそのもっとも有名なくだりを引いておこう。

「人が蜘蛛や気味悪い虫を火の上で掴むのと殆ど同様に、地獄の上であなたを握っておられる神は、あなたを忌み嫌い、激昂しておられます。あなたへの怒りは火の如く燃えているのです。最も忌まわしい毒蛇は、我々の目からは唾棄すべきものですが、神の御目から見ればあなたはそれより一万倍も忌まわしいのであります。しかしながら、毎瞬間あなたが火の中に落ち込まないように守っているのは、神の御手以外の何物でもないのであります。……ああ、罪深い人よ!あなたが曝されている恐ろしい危険のことをよく考えなさい。神は、御怒りの火の充満した巨大な怒りの炉、大きく開いた底知れぬ穴の真上で、あなたを御手で掴んでいるのです。その御怒りは、地獄に落ちた人々の多くの者に対するのと同様にあなたに向かって激しく燃え上がっているのであります。あなたは細い糸で吊り下げられ、回りでは神の怒りの炎がきらめき、糸は今にも焼け焦げ、切れてしまいそうです。……」

 

実はこの説教は、すでに一度自分の教会で語ったものであった。その時は特に変わった兆候も見られなかったので、エドワーズとしては後に招かれてエンフィールドの町の教会で同じ説教を語った時にも、特別なことが起こることを期待していたわけではなかった。ところが、説教が進むにつれて、聴衆の間に重苦しいどよめきと嘆きがわき起こり、やがてそれは叫びに変わり、結局この日エドワーズは説教を終えることができなかった。人々は椅子から転がり落ちるようにして説教壇に群がり、「救われるためには何をしたらよいでしょうか」とすがりつつ彼に尋ねたという。信仰復興運動の典型的な説教パターンの成立である。

人々に何が起こっていたのであろうか。このような仮借ない糾弾に、人々が被虐的な満足を見いだしていた、とする卑俗な説明はともかく、そこにキルケゴール的な「不安の支配」(terror of insecurity) というきわめて現代的なテーマが顔をのぞかせていることは確かである。さらに、入植後一世紀を経た植民地の政治的・経済的・社会的背景からこれを解明しようとする試み、あるいはこの時代に汎西欧的に興隆をみた敬虔主義思潮のアメリカ版とする理解もある。もう少し事柄を神学的に見ようとする人ならば、そこにエドワーズの「契約神学」放棄を読みとるかもしれない。伝統的なピューリタンの契約神学は、人々にいわば合理的な「救いの確信」を提供していたが、エドワーズはそれを放棄することによって、偽りの安心感を根抵から揺るがしたのだ、と解釈するのである(私自身は、契約神学の類型論からして、この解釈に与しない)。

その後この大覚醒は、まさに燎原の火のごとく植民地各地に広まっていった。その際に、ホイットフィールドやその模倣者テネントといった巡回説教者の果たした役割は大きい。教育程度も低く、知性よりも感情に訴える手法で、従来の教区をかき回して歩くこれらのリヴァイヴァリストたちに、伝統的な教会牧師たちの反感が高まったのは当然である。エドワーズ自身は、ノーサンプトン・リヴァイヴァル以来の注意深さで、これを弁明する立場に身を置くことになる。

ただし、エドワーズ自身の説教スタイルが今日のテレビ伝道者のような派手なものであったかのように想像されては困る。彼は、じっと会堂後ろにぶら下がる鐘の綱を見つめ、身振り手振りを一切使わずに、淡々と一本調子で言葉を紡ぎ出していった。その点で対照的なのは、彼と共にこの大覚醒を導いたイギリスのメソジスト伝道者ジョージ・ホィットフィールドである。若い頃役者を志しただけあって、ホィットフィールドの雄弁と演出のうまさは、プロの俳優をもうならせるほどであった。彼は、同じ言葉を40回まで繰り返すことができ、しかもその一回ごとに感動が高まるように話すので、最後には非常に単純な言葉の繰り返しだけで聴衆の間にたいへんな興奮がまき起こるほどであった。ある日の観察によれば、彼は「メソポタミア」という一言の語調をほんの少し変えるだけで、全聴衆を涙と悲嘆にうち震わせることができたという。アメリカのテレビ伝道者たちが、最近の多くのスキャンダルにもかかわらず、相変わらずお涙たっぷりの説教をして人々の喝采を受けているのを見ると、やはりアメリカという国には何かそういう素地があるのだろうと、奇妙に納得してしまう。もっとも、当時でもすべての人が彼に魅了されたわけではなかった。ある人は、次のような皮肉たっぷりの批評をしている。「彼の評判は、もっぱらそのやり方が風変わりだということに尽きます。もし彼がもっと人気を集めたかったら、今度はナイトキャップをかぶって説教するとか、木に登って説教するとかでもしたらよろしいでしょう。」

なお、「信仰復興」(Revival) と「大覚醒」(The Great Awakening) は互換的に用いられることが多いが、後者は特にこの1740年代のそれを指して固有名詞的にも用いられる。とはいえ、それがどこまで当の出来事そのものの実態を反映させた言葉であり、どこまで後代の解釈の投影であるのかには、議論の余地がある。アメリカ宗教史は、その後「第二次」「第三次」とこれを繰り返して彩りを増してゆく。ちなみに、マーク・トウェインの『トム・ソーヤーの冒険』を読むと、南部の小さな田舎町に信仰復興の波が押し寄せ、やがてそれがしぼんでゆくさまが、子どもの目を通して実にユーモラスに描かれている。